ウズベキスタン (1)
アンディジャン〜タシケント〜サマルカンド
シルクロードの古都サマルカンド
2003年8月26日 ジャラルアバッド〜オシュ〜アンディジャン〜クコン 走行 310km TOTAL 14,409km |
国境越え さて、心配した地域へ入ってきた訳だが、実際オシュの町へ来てみると一見して何てことない普通の町だった。ちょっと前までは外務省の危険指定地域に入っていたのだが、つい最近になってその指定からも外されたとのこと。町の周辺は農地が多く、豊穣な大地に農作物がたわわに育っている。 キルギス〜ウズベキスタンの国境はトータル30分ほどで簡単に越えることができた。キルギス側はパスポートと国際登録証を渡し、ノートに記入してもらうだけ。ウズベキスタン側では税関申告書を二枚書き、そのうちの一枚は滞在中携帯するために返される。バイクの通関はノートにナンバーを記入するだけ。あとはイミグレでビザにスタンプを押してもらい終了。 キルギス側では手続きの合間、国境警備の兵士が旧ソ連製自動小銃”カラシニコフ”を持っていたので写真を撮らせてもらおうとしたら、なんとその自動小銃をこの手に持たせてくれた。こんな国境の人混みの中で見知らぬ旅行者に銃器を渡すとは大胆な! 「もし僕がキチガイ野郎で、いきなり乱射でもしたらどうするんだろうね〜。ははは,,,」 ガソリンが無い! 国境越えの鉄則 ビシュケクから一緒だった松尾さんとはホテルで別れた。松尾さんはこの微妙な国境線地帯が気に入ったらしく、もう一泊していくという。 迷子になっちゃた 何だか物事がうまく運ばない日は二人ともイライラ。つまらないことでも言い合いになる。「いいから早く行ってよ!」と言うと、キレた弘行は“速く”走り出しあっという間に見えなくなった。「もう!」 しょうがないから、こっちはこっちでマイペースにやってやろう。どうせ一本道。町の手前では待っていてくれるでしょう。 闇両替 キルギスは町に行くと両替屋がたくさんあったのに、ウズベキスタンでは全く見あたらない。もうすでに銀行も閉まっている時間帯。どうしたものかと人々に尋ねるとポリスが「バザールで換えられる。」と教えてくれた。後で知ったことだが、この国は銀行やホテルなどでしか正式には両替できないらしい。バザールなどでの闇両替は違法だ。ポリスに見つかると大変なことになるのだが、このときはポリスが教えてくれたんだからしょうがない。
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2003年8月27日 クコン〜タシケント 走行 241km TOTAL 14,650km |
フェルガナ盆地からタシケントへ フェルガナ盆地は敬虔なイスラム教徒の多いところ。炎天下の暑さでも多くの女性がショールをかぶり、手足の肌も露出させずに顔だけ出して歩いていた。ところが、山をひとつ越えフェルガナ盆地を抜け出すと、町のガソリンスタンドでは半袖短パン姿をした金髪美女が働いていてビックリ。保守的なイスラム教徒の多いフェルガナ地方では考えられなかった格好である。日本で言う「看板娘」的な発想なのだろうか。客ひきにそれなりの効果がでているようで、フェルガナ地方からやってきたと思われるオヤジも鼻の下をのばしながらうれしそうに給油してもらっていた。 「むむ、なかなか商売上手な給油所だね。」 【みどり日記】 ウズベキスタンの実情 フェルガナ盆地からタシケントへ向う途中、何度もパスポートチェックのための検問にあった。フェルガナ地方は中央から虐げられ、分離独立の動きも盛んなところ。さらにキルギスやタジキスタンの国境も迫る場所なので、通行者を管理しているのだろう。
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2003年8月28日〜9月2日 タシケント 走行 0km+22km+0km+0km+0km+0km TOTAL 14,672km |
再びビザ待ちの日々 この先進む国々ではトルクメニスタンとイランでビザが必要なのだが、イランビザは直接領事館へ出向いて7日間程度で取得できるものの、トルクメニスタンのビザは領事館で直接取得することはできず、旅行代理店でインビテーションレターなるものを取得してもらう必要があった。 インビテーションレターとは先方の国の招待先が国の機関を通じて発行する招待状のこと。現地に何のコネクションもない旅行者は、現地と提携している旅行代理店に頼んで「招待してもらう」という建前を作るわけだ。 しかしなんと、その手配などに二人分170ドルもの大金と二週間もの期間かかるらしい。 そんなわけで、タシケントでは再び足止めをくらうことになった。足止めになることを予想していたとはいえ、都市部で何日も過ごすというのはストレスがたまるもの。特に滞在費の高い都市部では最低クラスの安宿に泊まらざるを得ないのだが、すさまじくボロっちいホテルにいると身も心も荒んでくる。 町で最低クラスのホテルは一人US$6。蠅がブンブン飛び回る狭くて暑苦しい部屋、鼻が曲がるほど臭くて汚いトイレ、天井から階上の排水が滴るバスルームではシャワーも無く、蛇口から直接お湯を浴びた。 【みどり日記】 イランビザの申請 水曜日の夕方タシケントに到着し、ヤスミナツアー社へ直行。次の日にはイランビザにインビテーションは不要だとわかったが、翌日の金曜日から日曜日までイラン大使館は休み。さらに月曜日は9月1日、ウズベキスタンの独立記念日である。日のめぐりが悪かったため、イランビザの申請をするだけで一週間もタシケントに滞在しなければならなかった。 サーカス 泊まったハドラホテルのすぐ近くにサーカスの建物があった。ちょうど今週末から公演が始まるそうだ。その華やかな明かりに誘われて、さっそく見に行くことにした。 独立記念日 9月1日は独立記念日。中心街まで行ってみることにした。地下鉄で知り合った親切な大学生の二人に一日中案内をしてもらうことになった。
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2003年9月3日 タシケント 走行 0km TOTAL 14,672km |
みどり家出 とりあえずビザの申請が一段落したので窮屈なタシケントを出ることに。目的地は南に約300km行ったところのザーミン国立公園。しかし、昨日ネットカフェの接続が切れていたため、本日の午前中ホームページの更新やメールの送信などをしていたのだが、接続速度があまりにも遅く、一通のメールを送るだけで10分以上かかってしまう。そのためみどりのメールの送信がすべて終わった頃には昼近くになってしまった。 こんな遅い時間に出発しても目的地へ着く前に夜になってしまうだろう。なので仕方なく、「もう一泊して明朝早く出ようか。」 と提案したのだが、みどりは、「もうこんな所にいたくない!」 と言って爆発してしまった。 「おいおい、今から出ても目的地に着かないうちに陽が暮れてしまうよ。」 「いや、出ると言ったら出るの!」 せかせかと出発の準備をするみどり。一時過ぎになって本当に出ていってしまった。いつものことだが、みどりは後先考えず行動するので一緒にいる方は大変だ。 一時間くらいしたら自らの愚かさに気がついて戻ってくるだろうと思い待っていたのだが、夜になっても戻ってこなかった。普段70km/hくらいでトロトロ走るみどりのこと。南へ真っ直ぐ走っても砂漠の中で日が暮れるはずだ。道に迷って変なところで立ち往生してるんじゃないだろうか、悪徳警官にいじめられてないだろうか、気になりだしたらもう眠れない。 【みどり日記】 夫婦喧嘩は犬も食わない 一週間も待ってやっと昨日イランビザの申請が済んだ。今日は出発できるぞ〜。と思いきや、インターネットに思いのほか時間がかかってしまった。メールの文章は昨日打ってフロッピーに保存していったので、切って貼るだけの作業だったにもかかわらずだ。
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2003年9月4日 タシケント〜ザーミン〜サマルカンド 走行 515km TOTAL 15,187km |
みどりを探して500km ベッドに横たわるがほとんど眠れないまま時間が過ぎる。結局、居ても立ってもいられなくなり、夜も明けない4時に起きだして明け方の5時には出発することになった。昨日話していた予定では南へ300kmのザーミン国立公園方面へ走っているはずだが、去り際に北東方向の湖へ行くようなことも言ってたっけ。方向が逆なので目的の絞りようがないのだが、なんとなく南を探したらいいような気がしてハイウェイを南下する。 途中カザフ領を通り抜け、ザーミン国立公園へ。地図を見ると国立公園内を通る道はサマルカンド方面へ抜けているのだが、公園のエントランスゲートでは、「通り抜けられないよ」 と言われる。何故なのか聞くと、この先で武装したタジク兵が国境を越えて公園内を徘徊しているので危険だからという。みどりについて訊いても「知らない」 との答え。 しかし、16km先のサナトリウムまでなら大丈夫とのことで一応そこまで入ってみるが、みどりが来た形跡はなかった。 「いったいどこへ行ってしまったんだ?」 元来た道を少し戻り、サマルカンド方面を目指す。しかし、途中で道を聞いたポリスにビザのレジストレーションについて指摘され、パスポートを取り上げられてしまった。 「賄賂ほしさに意地悪する気だな」 と思ったので、「日本大使館に連絡するから町まで行くぞ!」 と怒鳴りつけてやった。するとその警官は無線機でどこかと連絡を取り始めた。やがて無線で呼ばれた別な警官がやってきて署まで行こうとのこと。話を聞いていると、この辺りはタジキスタンとの国境が近いため、この地域に入ってきたら新しくレジストレーション(外国人登録)をしなければならないらしい。 結局近くの町まで警官同伴で行ってレジストレーションすることになったのだが、警官が乗ってきたバイクがその場でガス欠。仕方なく警官を後ろにのっけて、タンデムで警察署へ行く。このときすでに12時を回り、レジストレーションをする部署は昼休み。昼休みが終わるまで2時間も足止めになってしまった。 「あ〜、なんだかついてないなぁ。」 サマルカンドでの出会い 二時過ぎにやっと警官から解放され、更に200km走ってサマルカンドの町に着いたときはもう夕方。町のホテルを何軒か回るが、みどりの気配はまるでなかった。「この町には来ていないのだろうか。」 途方に暮れて道ばたで休んでいると、四駆に乗った地元の人が停まってくれた。車から出てきたのはバイク好きなルスタンさんと、その息子のチムール君。 安い宿を訊くと、 そしてその家について30分くらい経過した頃だろうか。チムール君が、「ヒロ、友達が来たよ〜!」 と言うので外に出ると何とまあ、みどりがいるではないか!? 道ばたの人に訊きながら探して来たらしい。しかしこの広い町で会えるとは何たる偶然だろう。それにタイミングも絶妙。昼間、警官に二時間足止めさせられたのもすべて神様に計算されていたかのようだ。 【みどり日記】 私のダンナはどこ? 朝8時過ぎ、弘行のいるホテルへ向かった。いつも9時くらいまで寝ている弘行のこと、まだ出発してはいないだろう。久しぶりに会う恋人のところへ行くようなソワソワした気分。ところが、ホテルへ行くともう弘行のバイクがない。「朝早く、5時頃出発していったよ。」と管理人が言う。そんなに早くに行くとは! やっと見つけた!
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2003年9月5日〜8日 サマルカンド 走行 0km TOTAL 15,187km |
サザンと鯉 メカニック ルスタンさんは軍役時代にジェット戦闘機ミグ23のメカニックをやっていたそうで、機械類の修理技術もなかなかのもの。彼はロシア製の「NIBA」という小型四輪駆動車に乗っているのだが、自分好みの改造を施していた。
【みどり日記】 メメトブ家の人々 私たちがサマルカンドで5日間もお世話になったメメトブ家の人々。家長のルスタンさん、奥さんのグーリャさん、おばあさんのエルミラさん、ルスタンさんの妹ザリェーマさん、息子のチムール君(13歳)に、娘のオゾダちゃん(10歳)。 チムールとオゾダにはサマルカンド案内もしてもらった。チムールはお父さんにお金を渡されてしっかりと言い付かってきたらしく、アイスなどを買い振舞ってくれた。悪いので払おうとしたのだがまったく受け取ってくれない。まるで子供におごってもらっているようだった。 ウズベキ風コスチューム
おばあさんとザリェーマさんが私にハラットと呼ばれるエプロンドレスのような服を買ってくれた。そしてグーリャさんは、スカーフとコンプレクツという上下組み合わせの服を私にプレゼントしてくれた。上着はプラッツァというふわっとしたワンピース、下はシタヌィといわれるズボンが付く。ウズベキスタンの女性は、普段からこのような服を着ている人がほとんどだった。 豊かな国 毎日デザートに出されるスイカやメロン。40円〜90円くらいで買えることに驚くが、日本での値段を聞いてルスタンさんはさらに驚いていた。そこからいろいろな物価の話に発展した。 居心地のいい家 ひと通りの観光がすんだ日、「明日出発する。」と告げると、チムールに「どうして?」と言われてしまった。「出発なんかするな、ずっとここにいろよ!」とうれしいことを言ってくれる。ルスタンさんも、「タシケントに帰らなくちゃいけない日までずっとここにいればいいよ。そしてビザが下りたらまた戻っておいで。」と言う。 |
みどりの食卓
【左】サザンの唐揚げ 内臓と鱗の処理をして切った後、塩をまぶして油で揚げる。油を熱するときに、小さめのたまねぎを入れると油の臭みが取れる。
【左】カーシャ バターを乗せたミルク粥。ルスタンさんは、これに砂糖をかけて食べていた。 |