キルギスタン (2)
ソンコル湖〜ビシュケク〜オシュ
ソンコル湖手前で標高3,448メートルの峠を越える
2003年8月20日 カラコル〜ソンコル湖 408km TOTAL 13,146km |
高原の湖へ
100%天然素材の家「ユルタ」 【みどり日記】 闇夜のソンコル湖 舗装路を走っていると、右折して50キロでソンコル湖という標識が出てきた。ここからはくねくねとした未舗装路が続く。西日が眩しくて路面がよく見えない。スピードが格段に落ちる。
ガスティーニツァ・ユルタ 湖の畔にあるこのユルタキャンプは、バイウシュさんの経営するガスティーニツァ(ホテル)・ユルタだ。37歳の彼は奥さん、娘三人とここで暮らしている。他にもう一家族と数人の従業員とでお客の世話をしていた。他に牛、山羊、羊多数。子供たちは真っ赤なほっぺをして毛糸の帽子とセーター姿。八月でももうこんなに寒いのだ。冬もここで暮らすのだろうか?
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2003年8月21日〜23日 ビシュケク 356km+0km+0km TOTAL 13,502km |
ビシュケクで松尾さんに再会 ビシュケクでは安いホテルを探し当てたら、宿の前に松尾さんのバイクを発見。カバーがかかっていたが、あの大きさは正に水平対向六気筒のワルキューレだ。ウランバートル、イルクーツクに続き三度目の再会。
【みどり日記】 巨大メロン ビシュケクへ戻る途中、沿道で売られている巨大メロンを買った。白っぽい皮で果肉も白。1キロ当たり7ソム(約21円)と安い。8キロのメロンを買ったので約170円。 両替屋でボラれそうになる ビシュケクに着くと、宿に行く前にドルをソムに替えるため両替屋が並ぶ通りへ向かった。客引きがうるさい。けれど、「トイレ」と言ったら相手にもしてくれなくなった。親切にトイレを案内してくれたお兄さんのお店で替えることにした。人はいいけど勘が鈍いお兄さんは、「お礼はいいよ。」と手を振るばかり。他の店にお客(私)を取られそうになってやっと気づいてくれた。 やっと取れたウズベキスタンビザ 申請に手こずったウズベキスタンビザの受領日がやってきた。今回はリストに名前があったようで、ホッとした。9月1日はウズベキスタンの独立記念日のため、その前までの期間しか下りないかもしれないという噂があったが、ちゃんと1ヶ月間もらえた。パスポートを渡すと、「午後3時に取りに来なさい。」との返事。 レーニン談議 今回は、レーニン像移転の話題から、マルクス・レーニン主義についての話題へと発展した。
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2003年8月24日 ビシュケク〜カラコル 387km TOTAL 13,889km |
トクトグル湖 キルギスタンの首都ビシュケクからウズベキスタンの首都タシケントまでは、平原のハイウェイを走ると約580kmの距離である。しかしその道中にはにカザフスタンの領土が張り出しているため、カザフのビザを持っていなければ通れないことになる。カザフのトランジットビザを取って行くという方法もあったが、ここはあえて山の中を通りキルギスから直接ウズベキスタンへ入る道を選ぶことにした。 このルート、距離は二倍になってしまうが、道中に3000メートル級の峠や大きな湖があって楽しめそう。暑い半砂漠の中で地平線と睨めっこしながら走ることに辟易していた身にはありがたい選択肢だ。 ジョージとアレクサンドラに見送られつつ松尾さんと一緒に出発。松尾さんは「清晴」という名前のとおり強烈な晴れ男で、前方の空に立ちはだかった黒雲も真っ二つに割ってくれる。これは冗談のようだが本当の話。おかげで彼と一緒にいると頭上はいつも青空が広がってるのだった。 それに人を引きつける力を持っているようで、彼が停まるとすぐに人だかりができる。ロシア語はほとんどできないにもかかわらず、現地人と身振り手振り、そしてごく簡単な英単語だけで会話し、驚くほど正確な情報を得ているのが驚き。二日間一緒に走っていて、還暦を目前に世界五大陸の旅を全うしようとする男のパワーにしばし圧倒された。 トクトグル湖は絵に描いたような不思議な景色を醸し出していた。背後の黒雲と西日を受けて立体的に浮き出た山肌をバックにエメラルド色の水を湛えた湖。カメラで撮ってもまるで絵のような写真になってしまう。
【みどり日記】 蜂入りの蜂蜜 トクトグル湖への沿道では、蜂蜜が売られていた。看板を掲げ、使い古しのペットボトルに入って売られている。私たちは500mlのペットボトルで買ったが、100ソム(約300円)もとられた。後で聞くとこれは結構ボラれていたようで、実際はその半値くらいだそうだ。 カラコルで宿探しをしていると、「うちの民宿においで」と誘う人が現れた。松尾さんと一緒、三人三台合わせて10ドルでいいという。後を着いていくと、敷地の中の建物に私たちの部屋を用意してくれた。家の人たちは近くにあるアパートに住んでいるそうだ。この敷地は、大家族共有の場所であるらしく、屋外に台所や食事をする場所が設けられていた。。
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2003年8月25日 カラコル〜ジャラルアバッド 210km TOTAL 14,409km |
複雑な国境線 トクトグル湖畔の、崖っぷちを縫うように走る道を抜けた後、水力発電用のダムを横目に平野部のフェルガナ盆地へ下りる。そのまま道なりに進むとオシュという町に行き当たるのだが、オシュとその周辺の国境地帯は民族紛争や住民の独立運動、それに伴うテロ活動が活発な地域と聞いていた。 1990年にはキルギス人とウズベク人が土地の所有をめぐって衝突し、230人もの死者が出たという。そういえば昔、テレビのドキュメンタリー番組でも見たことがあるのだ、双方の農民が鉈や鎌を手にして対決。畑に死体がゴロゴロ転がる映像を見て、こんな恐ろしいところ絶対に行きたくないと思ったことがある。なので、ここはなるべく避けて通りたいところ。 幸いなことにオシュより百数十キロ手前でウズベキスタン側の町、マナンガンの町へ向かってショートカットする道があった。そこを通ればオシュの町を経由せずに越境できるはず。 マイナーな国境ゆえ入り口がハッキリしなかったが、人に訊きつつなんとか国境への道を見つける。農道のように見えるその道には数百メートル先に国境のゲートがあった。しかし、キルギス側は簡単なパスポートチェックのみで出国できたものの、ウズベキスタン側国境が閉鎖されていて呆気なく追い返されてしまった。 「ここで越境できないとなるとオシュの方をまわるしかないか...」 仕方なくオシュの町を経由して国境越えする事にしたのだが、地図を見るとその先から国境線がかなり複雑に入り組んでいた。かつてソ連時代に作られた道は両国独立後、国境線が度々道を横切る結果となり、道路が鉄柵で何カ所も寸断されていた。そのため、今その道を走っている僕たちは何度も何度も道を迂回させられることになる。 オシュに近づくほど、雰囲気は変わり、すでにキルギスであってもキルギスではないような感じ。住民もイスラム教徒のウズベク人が多くなり、その多くが丸い帽子をかぶっている。そしてモスクからはコーランが聞こえだした。 「今日オシュまで行くと日が暮れてしまうだろう」 今夜は手前の町、ジャラルアバッドで宿に入る。さあ、明日はオシュを通ってウズベキスタンへ入国だ。
【みどり日記】 道の向こうはウズベキスタン オシュまで、国境沿いの道を走る。道の向こう側に広がる綿花畑は、もうウズベキスタンだという。オフ車だったらどこからでも入っていけそうだ。なのに近くて遠い異国だった。この辺りは紛争が激しかったところ。今、のんびりと木陰で昼寝などしている人々を見ると妙な気分になった。 夜中の三時頃目が覚めてから、なかなか寝付けなくなった。何だか息苦しい感じ。何か自分がやり残したこと、やれなかったことなどを後悔するような息苦しさだ。生きていく上では必ずいくつかの道の一つを選択していかなければならないのだが、果てはその選択されなかった別の道を見ることが出来なかった後悔にまで及んだ。でも考えてみれば私たちほど恵まれた人はあまりいない。あれもしたかった、これもしたかったと思うけれど、そんなことすらも出来なかった人たちがいるのだ。そこまで考えが及んでくると、「では、この辺りの争乱で亡くなった人たちはどうだったのだろうか。」と思うのだった。何一つやりたいことも出来ないまま亡くなっていった人たちの後悔の念が私にのしかかってきて息苦しくさせているように思えてきた。 |
みどりの食卓
【左】ガンファン。ラグマンの麺がご飯に替わったもの。トマトと肉、野菜、香辛料のスープをかけてハーブを散らしてある。 |