トルコ (3)
2003年10月22日〜11月4日 エーリディル〜イスタンブール
向こう岸はヨーロッパ(ボスポラス海峡)
2003年10月22日〜25日 エーリディル〜パムッカレ 0km+317km+0km+0km TOTAL 21,652km |
漁師の宿 エーリディル湖の南に半島が突き出している場所があり、ちょっとした観光名所になっていた。昨日は半島の付け根にさしかかったところで、漁師でペンションのオーナーと名乗る人に声をかけられる。彼のペンションでは湖からとってきたばかりの新鮮な魚が食べられるとのこと。食いしん坊の僕たちはそんな売り文句に釣られ宿泊まりに決定。「今日はブッシュキャンプで節約しよう」 なんて言ってたのだれだっけ? でもまあ、25,000,000リラを20,000,000リラ(約1,700円)にまけてもらったので良しとしよう。 後でわかったのだが、この半島にはホテルやペンションが数十軒も営業している。トルコ全体に言えるのだが、観光地近辺の宿泊施設が過剰気味で、どこの宿も客の獲得に躍起になっている。そのため物価の割に宿の宿泊料金は安めで、値切り交渉にも簡単に応じてくれる。バスの停留所付近では宿の客引きがしのぎを削っている状態。自分で宿を探さなくても客引きが連れていってくれるので簡単だ。 宿の夕食はブラックバスのフリッターに焼きめし、スープとサラダ、最後はケーキとコーヒーがでてきた。しかしこれが宿泊料金と同じ値段。トルコを旅していると宿代よりも二人分一食の食事代のほうが高い事が多い。 オランダからやってきた自転車旅行者 この宿ではカップルのオランダ人自転車旅行者、ルイスとスーザンに会う。 ルイスは難民受け入れ施設でオランダ語の講師を、スーザンは小学校で先生をしているそうで、二人とも一年間の休暇を取ってユーラシア大陸の旅に出発した。自転車で旅するくらいだから若いのだろうと思いきや二人とも自分よりもずっと年上だ。 彼らも当初は自走して大陸を横断しようとしていたのだが、ユーラシア大陸は東西に長すぎるため自転車だと一夏では横断できないことに気が付いた。そのため予定を調整、カッパドキアまで自転車で走った後、イスタンブールまでバスで移動し、そこからタイのバンコクに飛びインドシナ〜北京まで自転車で走るとのこと。ヨーロッパ人の自由気ままな旅感覚にはいつも驚かされるが、40歳すぎても自転車で大陸の旅に出るとは、なんて格好いいんだろう。 バス、ロブスターを食べる 民宿の夕食にも出てきたブラックバス。日本ではゲームフィッシングの対象、または害魚とされているバスだが、ここでは漁師が網ですくってきて市場やレストランに出荷している。食べてみると歯ごたえも弱く、味に深みがない感じ。今回はあっさり味の唐揚げで出てきたが、もっと濃い味付けにしたほうがおいしく食べられるような気がした。 翌日は近くのレストランでもう一度バスを食べてみたのだが、やはり民宿のバスと同じ味。ボリュームが少ないので満腹にならず、懲りずに別のレストランで淡水産のロブスターにもトライ。注文するやいなやウェイターがタモ網を取り出し、生け簀からロブスターをすくってきた。 ここの淡水ロブスターは小振りでザリガニのような形。茹でただけのロブスターはちょっと泥臭く、昔メキシコ・バハカリフォルニアの海岸で食べた巨大ロブスターのイメージとはかけ離れた感じだ。ガーリックバターでグリルにするともっとおいしいかも。 ヒエラポリスとパムッカレ温泉
旅行者のたらい回し エーリディルは湖沿いのリゾート地で、赤瓦に赤煉瓦の家々が建ち並ぶ。南国の沖縄を思い起こさせた。旅行者にとってはマイナーな場所だけれど、私たちのように客引きされて来たと思われる外国人ツーリストが、このFULYAペンションには何人も泊まっていた。みな、ここの素晴らしい景色とペンションの心地よさに思わず長居しているようだった。 トルコ男は日本女性がお好き パムッカレのペンションに着くと、片言の日本語で嬉しそうに話しかけてくる青年がいた。ここの奥さんの弟で、実家は羊飼いをしながらカーペットを作っているという。彼は日本人の女性と近々結婚するらしい。彼女のお腹にはもう子供がいるとか。なんだかトルコではこういう話をよく耳にする。たいていが旅行者の日本人女性とトルコ人のカーペット屋さん、トルコ石屋さんという類のカップルだ。トルコ人男性は、日本人の女性が好きなのかしら。 夜、ライトアップされたパムッカレを見に一人で出かけた。帰り際、通りかかった床屋を珍しそうに覗いていると、店のオヤジさんに手招きされた。マッサージをしてくれるという。いきなりなので不安に思いながらも、マッサージ大好き人間の私は思わずその言葉につられてやってもらうことにした。頭、背中、腕、ああ気持ちいい。 パムッカレ温泉 パムッカレは春の雪山といったかんじで、白い石灰岩の下に土が見えているところも多く思ったほど綺麗ではなかった。石灰棚を傷つけるといけないので、料金ゲートの先は靴を脱がなければならない。せっかく用意してきたのにサンダルも禁止。歩くと足が痛い。登り切った先に立派な施設があり、そこの温泉プールに入ると10年長生きできるそうだ。でも、一人15,000,000トルコリラ(約1,500円)と高いので、入るのは諦めた。二人分の宿代と同じ値段なんだもの。
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2003年10月26日〜30日 パムッカレ〜セルチュク〜チャナッカレ 195km+0km+300km+165km+0km TOTAL 22,312km |
キリムを買う パムッカレ近辺の村は絨毯やキリムの産地になっているらしい。ちょうど泊まっている宿の従業員一家が絨毯を作っていることを知って、彼の村を見学させてもらうことになった。ここの絨毯やキリムは工場で生産しているのではなく家族単位のマニュファクチャーで作られている。なので、100%天然素材・100%手作りだ。おじいさんが羊を放牧し、あんちゃんが毛を刈り、母さんが毛を紡いで、娘が織っているといった感じ。 この村へはイスタンブールの絨毯屋が何十枚単位で買い付けにやってくるそうで、畳大の大きさのキリムで卸価格2〜3万円とのこと。本当は一般の人はここで買うことはできないのだが、特別に出荷場に案内してもらい、キリムを一枚売ってもらうことができた。買ったのはラクダとヤギと羊の毛で手織りしたハイブリッドなキリム。これは完成するのに一日二時間・週七日織って二〜三ヶ月かかるそうだ。日本で作れば人件費だけで十万円くらいかかりそうだが、僅か2万円ほどで購入。同じ物をイスタンブールで買えば4〜5万円かかるというから良い買い物をした。 エフェスの遺跡 エーゲ海のビーチリゾート トロイの遺跡 【みどり日記】 キリムとカーペット キリムとは、トルコ特産の敷物。カーペットのように表面に毛が出るような織り方ではなく、厚さも薄い。床に敷いたり、壁に掛けたりして使われている。いいものは300年も使えるようで、年期のある古いキリムは、新しいものよりも高く売られていた。 ただの石っころ?
待望のハマム体験
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2003年10月31日〜11月4日 チャナッカレ〜イスタンブール〜エディルネ 371km+156km+0km+0km+260km TOTAL 23,099km |
東トルキスタンからの亡命者 イスタンブールに着いたその日の夕食時、やさしい眼差しの奥に、底知れぬ力強さと哀愁の漂う男がテーブルの向かいに座っている。そして彼は東トルキスタンの窮状を熱く語ってくれた。 「もう二度と故郷に帰ることはできないかもしれない」 そう、彼は東トルキスタンの故郷カシュガルに妻子を残したまま亡命してきたのだ。 彼とは、みどりがインターネットでこの地域のことを調べているときに知り合ったのだが、メールを出した当時はまだカシュガルでツアーガイドの仕事をしていた。しかし、しばらく後になってトルコへ亡命してきたというメールが来た。それが今回イスタンブールで彼に会うことになった経緯である。 東トルキスタンは、中国政府のプロパガンダにより「新彊ウイグル自治区」という名前で知られているが、自治区なんていう言葉は嘘で、チベットや内モンゴルと同様、漢民族が在来の民族を弾圧し、搾取し、支配し続けている地域だ。そこは、もともとウイグル人の住む土地だったのだが、旧ソ連や中国など、隣接する大国に翻弄され悲しい歴史をたどってしまうことになった。 「ひとつの中国」という政策を続ける中国政府は、チベットやモンゴル、そしてウイグルの独自性を認めず、中国に同化させることに躍起だ。そのため、かの地に住む在来の民は、自らのアイデンティティーを意識するだけで罪にされてしまう。現実にウイグルの知識人が次々と逮捕・投獄・虐殺され、それが今なお続いているとうから恐ろしい。そのためインドに亡命しているダライラマやチベット人の例と同様、外国に逃げざるを得なくなってしまったウイグル人が後を絶たないのである。 彼も同様だった。ウイグル人である彼はカシュガルの旅行会社でガイドの仕事をしていたのだが、中国政府の民族弾圧について話していたことが当局に知られてしまい、命からがらキルギスへ越境、そしてトルコへやってきたのである。残念なことに、こうなってしまった直接の原因が仕事で同行した日本人ガイドによるものだったというから悲しい。平和ボケした日本人にとって秘密警察の存在や民族弾圧の深刻な現実など理解できなかったのだろう。その日本人ガイドは彼から聞いた現実の話を中国人ガイドの前で口を滑らせてしまったのだ。 今は国連の機関に亡命申請を出している最中。しかし、亡命中の身の人に市内を案内してもらったりしてお世話になりっぱなし。この街滞在中の三日間、毎日会って話を聞かせてもらったのだが、イスタンブールの名所や史跡などどうでもいいと思うほど、彼の話の方が興味深く、そしてショッキングだった。 約二ヶ月かけて越えてきた中央アジア。カシュガルへは行けなかったが、一過性の旅行者の目には見えないおぞましい事が起きていたとは。東トルキスタンに関してもっと詳しい事を知りたい人は以下のサイトを参照してほしい。 東トルキスタン情報センター http://www.uyghur.org 【みどり日記】 アジア横断終了
ラマダン
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みどりの食卓
【左】シシケバブ 羊肉などの串差し。シシとは串という意味で、ケバブは焼き肉のこと。 |